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台湾・過去探訪の旅

25/2/27 (水)小雨のち曇り 夕方富士山見える

 

 

17時32分

17時33分

17時33分


3月1日から4日まで台湾に行きます。
台湾は過去2回行って居ますが今回の旅は物見遊山の旅では無いんです。
普通の観光客の行かないマイナーな所に行きます。


「台湾の歴史と日本統治時代の文化遺産」探訪の旅です。

勉強の旅ですから授業料が入って居るので高いです。
3泊4日で167,540円(一人部屋代)+前泊代(8,200円)=175,740円も掛かります。
しっかり勉強して元取らなきゃですね。


朝早い集合は苦手なので前泊します。
28日夕方家を出ますがここん所休んでばかり居るし薬のせいか(歳のせいかも)
日時の記憶が飛びますので不安です。


今日は午前中床屋に行って顔もさっぱり剃って仕度も万全に整えました。
明日からしばらくお休みします。

 

日程とコース
1日目:成田 9:40発
       台北→新幹線→南台南駅
             鎮安堂
             飛虎将軍廟
             台南飛行場への物資運搬用駅
       台南泊

2日目:バス→烏山頭ダム(八田與一記念公園)
       戦争講和平祈念館(元台湾籍日本将兵建立)
             旧高雄鎮守府(車窓)
       日本人墓地等
   国内空路→澎湖島へ
       馬公泊

3日目:澎湖島(馬公)
       日本軍上陸記念碑
       旧馬公警察署(記念館)
       澎湖記念館(皇室来賓用の旧迎賓館)
       県庁舎(現県庁) 
       旧専売局庁舎(現専売局)
国内空路→台北(16:50分着) 台北泊

4日目     台北市内観光
       昭和町散策(青田街、温州街、永康街
          国軍歴史文物館等
台北→成田  20:45着

 

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左翼の牙城で日の丸を配る

24/12/4 (火)曇り後晴れ 暖かい

 

 ここが先の大戦で激戦が繰り広げられた嘉敷高台

 

嘉敷高台から普天間遠望

普天間基地

普天間第二小学校、幼稚園 子供達は車のお迎えで下校する子が多い

ちょうだい、ちょうだい

もらった~

わ~い、わ~い

 

さて沖縄愛国ツアーもこれでお仕舞いにします。
舌足らずで思いのたけを述べられない思いはありますし、
本当はもっと過激な思いもあるのですが勉強不足なのでこのくらいにしておきます。
今日は少し補足です。


辺野古から普天間
第二小学校に行きまして村田さんからいきさつを聞き写真など

撮っていたら、
「これでいいのだおじさん」が校門のフエンス越しに子供に旗をあげましたら次々に

子供達が寄って来まして我も我もと欲しがりました。

100本ほどの旗がすぐなくなりました。
子供達はその旗を振り振り下校しました。

 

私達会心の笑みをかみ殺す事が出来ませんでしたね。
多分純真無垢な子供達に左翼の忌み嫌う旗を学校で配るなんて何事ぞと

学校に抗議の嵐が吹くのではないかと思ってね。
し~~らないっ!!わはははは


以下はそよ風ブログから抜粋します。

 

さて、私達が行った旗テロ!(自称)について。

(わかる方だけ分かって下さい)

 

普天間基地に隣接している普天間第二小学校を見てきました。
小学校のすぐそばに米軍機が落下して、子供たちの安全が守られないからなんとかしろとクレームをつけた小学校です。

 

ところが、市が苦労の末、代替地まで用意して移転要請すると、
なんと、「移転は基地の固定化につながる」「命をはってでも反対する」と拒否したのです。

子供たちの命より運動が大切という、ほれぼれするような左翼思考の象徴の学校です。

 

私達が行った時はちょうど下校時間が近づいている時間でした。
一行の一人が外から門の中の小学生に手に持っていた日の丸の小旗を手渡しました。

すると他の生徒も「僕にも!」と駆け寄ってきたのです。

 

日の丸を手にした子供たちが校庭でそれをひらひらさせて喜んでいるのを見た私達の仲間が急いで車に積んでいた100本の日の丸をもっていくと、次々と生徒が集まり、瞬く間に配り終えてしまいました。

 

バリバリ左翼の牙城で起きた信じられない光景に一同唖然でした。

帰りの車の中から、下校途中の小学生が、うれしそうに日の丸を振りながら横断歩道を渡っていく姿を見た時には思わず感激しました。

 

小学生は、日頃どんなに日教組教育を受けていても、天皇皇后両陛下行幸啓お迎えで各所で日の丸が振られていたのを目にして、
きれいな日の丸を振ってみたいと思ったのかもしれませんね。


12億の弾

24/12/2 (日)くもり

 

宜野湾市普天間基地

 

辺野古を後にして又も沖警お奨めのステーキの店でお昼にする。
スペシャルステーキを注文、ちょっと堅かったがうまかった。

ランチのデザートに付いて来たが美味しかったので、

なんとかマダムの手作りアップルパイを買う。

1200円の所を1000円にしてくれた。
ケーキに煩い娘も合格印をくれた。

 

それから村田さんお奨めの普天間第二小学校前に行く。


この小学校(幼稚園も併設)は基地に隣接しているし騒音墜落の危険があると騒いだので国が土地を用意して移設しようとしたら又も反対組が移設反対して移設問題は膠着している。

移設すると基地が固定化されるから反対と言っているらしいが、意味判らん!
何でも反対すればお金になるのでしょうね。

 

激戦地だった嘉敷高台から普天間基地、市街が一望であるが、市街が基地に小判鮫よろしくびっしりと寄り添っている。


嫌み家の私がガイドに案内される度に問いました。

「市街が基地にびっしり寄り添っていますが、密集している市街地に基地が作られたのですか」
『いいえ基地が出来る前はサトウキビ畑で数軒の農家がありましたので、その方達には立ち退いて貰いました』

「この密集して住んで居る方達はなんで食べているのですか基地経済の恩恵を受けているのでしょう」

『そんな事はありません、基地経済の恩恵はわずかです、公務員とか会社員とかの勤め人です』
「そんな事はないでしょう、じゃなんで基地が出来てからこんな間近に住むようになったのですか」

 

宜野湾市のホームページより


③基地返還と本市経済のあり方

本市の経済において、現実的には軍用地は重要な要素といえます。
これは、普天間飛行場に関する地代収入が年間約60億円となっているほか、
その収入は市民の消費活動、市の税収増加へとつながっており、

このような2次的・3次的な経済効果は、
本市の経済活性化の役割も果たしています。

 

また、平成13年3月現在(古い)本市の基地関連従業者数は829人と本市従業者の約3%を占めています。
このように軍用地の存在は本市の経済システムに深く関わっており、経済的な影響は大きいといえます。

したがって、基地跡地利用にあたっては、市民に対して便益のある利活用を行い、

本市経済の再生と自立に資する波及効果の高いシステムの構築を図る必要があります。

 

沖縄県は、県土の約11%、本市では市域の約33%を米軍基地が占めています。
このことは経済発展の阻害要因にもなっていますが、基地依存による雇用収入や地代収入は、少なからずも県民の収益になっています。

 

普天間飛行場 > 地権者オンライン > 地権者懇談会

 

1.懇談会であげられた意見・質問の要旨

 

◆ 県庁を誘致する、2,000~3,000名が働ける企業を内地から誘致するといったことがあればよいかもしれないが、簡単にはいかないと思う。


◆ 地主に50億円が軍用地料として落ちていたものがなくなると、その分税金が入らなくなり役所も大変困ると思うので、どうしたら宜野湾市が発展するのかを本当にみんなが真剣に考えて行く必要がある。

50億円の収入がなくても困らないぐらいの施設づくりを第一に考えてもらいたい。

 

1955(昭和30)年に18,469人を数えた人口も1960(昭和35)年3月には3万人を越え、
1962(昭和37)年7月1日に市に昇格しました。「宜野湾市」の誕生です。

 

平成24年9月中の人口
総数 94,161
男  45,808
女  48,353

 

私の言いたいことはそんなことではないのです。
今そこにある危機についてなんです。


支那は戦後まだ発展途上国時代から着々と沖縄取りの計画の元に教育、マスコミを手中にして沖縄県人を宣撫して来ました。もうまもなく完成に近づいているのです。

 

沖縄から基地、アメリカ軍がいなくなれば一気に取りに来るでしょう。
教育、マスコミに骨抜きにされた沖縄人はのほほんとして太平をむさぼっていますが、

少しでも脳があれば支那に支配された国土国民がどのような処遇に置かれるか少しは

シュミレーションしませんか。

政府も沖縄の言いなりにならないでシュミレーションして見せるべきです。
何を恐れているのでしょうか。

 

なんなら私がシュミレーションして差し上げましょう。


一番参考になるのが20年位前に行ったウイグル人の国土、新疆の有様です。
新疆でまともな仕事はほとんど侵入して来た漢民族が占めています。
ウイグル人は道路にゴザを敷いたり、板戸一枚で萎びた商品を並べて商っています。

 

そんな道路で私はくっさい石けんを買いました。
小学性が書いたらしいつたない簡体字のノート片に包んでくれました。
ガイドの説明によるとウイグル人小学性の簡体字の練習帖のようでした。

そうなんです、支那語を読み書き出来ないとまともな職業に就けないのです。
そうして数十年したら先祖伝来の文明文化伝統も失われます。

 

支那は沖縄を取るのに武器弾薬はいりません。
12億の人口弾でわけなく取れます。
貧しい食いっぱぐれた支那人がどっと押し寄せて来ます。

 

沖縄在住の本土の女性が言っていました。
沖縄の男性はこつこつ仕事をする事が苦手な人が多いそうです。

必然的に女性が家計を支える為に働き者になります。
必然的に離婚が多いそうです。

 

そんな風土の所にやって来た世界最強の漢民族は必死で働き、子供を教育し、

四半世紀しないうちに沖縄の上層部は支那人で占められるでしょう。

沖縄人よ!支那人は大和民族とは大違いですよ。
マスコミが悪いなんて人事の様な事を言ってないで行動しましょうよ。


子孫を奴隷にしないために!!

 

続く

天皇陛下と沖縄県民、歴史的瞬間

 

娘が更新しました。

犬のいる暮らし
 

 

辺野古テント村にカウンター

24/12/1 (土) 

 

ヘリ基地建設阻止協議会

一行11人チーム関東組

 

次に②「ヘリ基地建設阻止協議会」副題が「命を守る会」に行く。

散々覗いてみたがここも①と同様無人である。

そして本命の辺野古テント村に乗り込む。
村と言うのはちとオーバーな、テント一張りだけだから、

先の①②を入れて辛うじて村かな。

辺野古海岸

後方がかの有名な辺野古テント 日の丸掲げて乗り込むぞ~

意気揚々と乗り込む

手前のおっさんが「ヘリ基地反対協議会共同代表 安次富浩」らしい

どんなに抗議されてもにやにやして動じない

こりゃプロだな、

それにしても小野洋子みたいな女は気色が悪い

 

犬まで座り込んでいたよ

代わる代わる入り込んで抗議する、

何しろここは公道ですからね入ってもいいんですよ

ビーチ向こうの島あたりからこっちに滑走路を造る予定

小島が可愛い

地元の漁民

おじさん達も左翼のテント村の反対運動に憤慨していた、

辺野古区民は賛成しているのに本土から来た連中が反対運動をするので

困っているそうだ。

基地が来るまでは10戸ほどの村落だったが今では

飲食店が400軒も増えたそうだ。

基地のフエンスに汚らしいゴミが貼り付けてある

 

チーム沖縄!辺野古テント村に一人でカウンターに行く沖縄県民GJ!1
 

【在特会】沖縄県・辺野古テントへのカウンター

 

沖縄で数少ない保守活動を展開している

沖縄対策本部」さんが孤軍奮闘していらっしゃいますので応援して下さい。


辺野古漁港テント村の撤去について(要請)
 
平成24年3月2日
 
名護市長 稲嶺進殿     辺野古区長 大城康昌

 
謹啓 余寒がなお厳しいこの頃、貴職におかれましては益々ご健勝のことと

お慶び申し上げます。

平素は、名護市、当区の発展にご尽力いただき衷心より感謝を申し上げます。
 

さて、辺野古区はさいさんにわたり、上記要請を行なって参りましたが、

当市局、テント村なる代表者との話し合いの折り合いがつかず、撤去、移転どころか、何も変わらない状況であります。

 

よって、当区では、拡大行政委員長会を緊急に開き、区民による撤去署名活動を行い
一日も早く現在の場所から撤去、移転することを決議し、区民が自由に海岸通りを散策できる環境を取り戻したく思い、テント村撤去に対する署名簿をもって、撤去要請とします。

なにとぞ市長の特段なるご高配をたまわりますようお願い申しあげます。

 

名護市長は左翼の集会に出席するらしいからこりゃ無理だわ。

 

左翼の言い分

 

辺野古浜通信
これ以上基地はいらない… 辺野古の座り込み

 

ヘリ基地反対協議会
 


 

反対するにも流派がある

24/11/30 (金) 曇り一時小雨

 

 


 

 


①の反対小屋

 

ヘリ基地反対協議会

 

ここに寝泊まりしているのか

岩手ナンバーの車

ゴムボートで夜陰に潜んで基地に潜入なんてね

レジャーかな

新鮮な野菜も供給している

窓にポスター

おお~私も知っている有名人ばかりだ、

辛淑玉なんて最近テレビで見かけなくなり

清々していたらこんな所に活路を見いだしていたんだ

 

私は嫌な事実から目を背ける性質で沖縄問題や政治の問題から逃げていたので

語れる程詳しくはない。
しかし75年も生きているので肌で危機感はびんびんと感ずる。
従って皆様の様に文献によらないので正確ではないかも知れない。

これから書くことはあくまでも私の独断と偏見である。

 

19日は8時過ぎにホテルを出て最後の奉迎場所

壺川駅付近沿道で奉迎した。


その後沖警の先導で辺野古に向かう。
かの有名な辺野古のテント村とは如何様な有様であろうか。
まず沿道に2箇所の反対小屋があった。


どうも反対にも流派があるらしい。
最初に行ったのが①「ヘリ基地反対協議会」
次に行ったのが②「ヘリ基地建設阻止協議会」副題が「命を守る会」


同行の警察官の説明では

①がよそ者で、問題の海岸公道にテント村を設置しているのがよそ者流派で
②は地元者だそうです。
なるほど①には岩手ナンバーの車が駐車していました。
岩手の皆さん古里復興に手を貸さないで遠く沖縄でこんな事をしているんですよ。
続く

 

 

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