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懐かしい人

24/10/30 (火)晴れ 爽やか

 

たとえばこんな旅

 

バインブルグにて 一泊18~20元(200円位

あこがれの旅社に泊まると感激している。

旅社とは支那で最低の宿です。

鍵は掛からなくて床は泥床、電気は無くてトイレは遠く部落の外れに有り、

勿論電気は無くてその汚さはこの世の物とは思えない、

たとえばこんな3Kトイレはいかが↓

35団オアシスにて

さすがに現地の人も怖いと見えてトイレの周りに放糞していますから周りは糞だらけです。外のどぶ池に糞尿は流れます。世界一の3Kトイレだと感激しましたね。

クチャ~アクスの途中にて 一皿5元(60円)

食事は全て現地の人が食べている屋台です、

あこがれのパエリヤです。羊肉の骨付きが入っている、左から二人目が二村さん、若い!

バインブルグにて 

現地の人達は朝から家族揃って外食します、右はパオを解体して運びます。

従ってこの人達は漢人ではありません

チェルチェンにて、、

正面ブルーのシャツが二村さん、豪快に酒を飲む方でした。

支那人は大酒飲みばかりでしたが彼らの懐に飛び込むためか酒が好きなのかはわからない。

 

昨日の日経夕刊で懐かしい人の消息を知った。
二村忍さん

 

18年前にタクラマカン砂漠を一周したときお世話になった。
ありきたりの旅でもなくありきたりの添乗員でもない二村ワールドにいざなわれ

約一ヶ月の旅だった。
迷惑もかけたしな!

 

彼と知り合ったのはその2年前に駱駝でタクラマカン砂漠の一部を旅してこんな広大な

土地は駱駝じゃ駄目だ、ランクルで回るべし、いまにやってやるぞ~と心に誓った。

 

1年後旅の雑誌に私の理想通りのプランが載っていた。
よしっ!機が熟したらこのプランでいこうと思いその雑誌を大事に保存していた。

 

その1年後に機は熟して(旦那のご機嫌伺いね)実行に移すべく彼に連絡した。
所がそのプランは催行されなかったそうだ。
彼は当時小さな旅行会社を経営していたが弱小だったし、

当時の日本人には時期尚早だったのだ。

 

彼は言った『6名以上集めればやりますよ』
私はその気になり日本全国知り合い(少ない)に手紙や電話で勧誘した(当時ネットは無かったしね)
手作りのポスターも貼った。

 

興味のある人は沢山居たが1ヶ月ほどの休暇を取れる人は居なかった。
悪戦苦闘している私に娘は言った『もう諦めたら!』

そうはいかないのよ!私にとって何が困難かと言えば旦那の許可を取るのが

一番困難でしたからね、
許可を取った訳では無くてそのような雰囲気に持って行ったと言うべきかな。


千載一遇のチャンスを無駄にはしたくない、勧誘なんて苦労のうちには入らないのよ。

なんだかんだで6人集めて7人で催行した。
確か60万程だった、円の強い時代だったな。


旅は大成功で皆さん喜んでくれたが私は高山病になり眼底出血はするは心はぼろぼろに

なるわでもう二度と旅の主催者にはなりたくないと思ったな。

 

最悪の組み合わせだった。
夫婦二組と男性二人(飲み助で気が合っていた)
だからいつも私は孤独だった、そんな環境が一ヶ月も続くと心が壊れるのよ。
当時は私の心持ちがいけないのかと自虐していた。

旅はメンバー構成に配慮するべしと教訓を得た。

 

その後今度は天山の北側を通る旅をガイド一人連れて一人で気ままに歩きたいと

思ったが果たせないままに此の年になってしまった。

当時彼は35歳位だったんだ。

 

懐かしいよ!

 

シルクロードを全線陸路で走破!

 

産経
西安-ローマ、バスで横断 型破り団体ツアーが完結 

 

二村忍 

 

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