自己矛盾
昨夜の落日
銀杏を拾ってきました、明治神宮のそばの乗馬クラブの大銀杏の下、小粒です。
銀杏は大好きですが食べ過ぎるのよねぇ。
20/10/11 (土)
今夜は腹一杯食べて芋焼酎片手にパソコンに向かっていたら、近所の犬繋がりの知人からこれから飲もうよとお声が掛かった。和食の店でビールを飲んで、梯子で上がった先はショットバー、2年前に開店して入ってみたいなぁと思っていたが、こんなおばさんには不釣り合いだろうなと諦めていたバー、入ってみたわ。
若いお兄さんが2人で接客してくれたが、他に1人女性客がいたがそれっきり、カクテル1杯で1,200でしたが、安いな、儲かるのかな、心配になってきた。
この度、久しぶりに新規の利用者を担当することになった。その方は65歳、介護保険1年生だ、私より6歳も若い、鬱病で独居の方と聞いていたが、
病名はアルツハイマー型認知症、双曲性感情障害、譫妄と言う精神障害の女性、
病歴を見ると34年も前から鬱病が発症している。状態が悪いときはパニックになることも有るそうだ、この度の訪問では穏やかであったが、やはり話はころころ変わる。
創価学会信者だ。
「ご主人はいつ頃亡くなられたんですか」と聞いたら、仏壇からお位牌を取り出して何年何月と仰る、
「あら、創価学会でも戒名の書いてあるお位牌が有るのですか」と聞いたら、
『このお位牌はこの仏壇(創価学会の)には入れられないのでこの仏壇に入れているの』と言って並んで置いてある小さい仏壇に納められた。
創価学会では戒名もお位牌も邪宗として禁じられていた。この方の精神障害がその所為とは云わないが、この方の心に伝えられている宗教の教えと学会の教えは背反しているわけだ。身についている宗教心は戒名とお位牌を作らせたが創価の教えはそれを禁じている。だから二つの仏壇を並べて祈っている。その自己矛盾はこの病んだ精神障害者の心を更に蝕んでいると思う。
ずっと以前にお世話したウメさんも創価学会信者だったが、その老後は悲惨だったな、生活保護受給者だったが、怠け者の50代の息子が寄生していたのでその貧しさは目を覆うばかりであった。
狭くて急な階段のアパートの2階に住んでいられたが大腿骨骨折を何度もなさってその階段を下りたのは最後の救急車で運ばれたときであった。
訪問すると息子はいつも布団をすっぽりかぶって寝ていたが、母親はかばっているのか息子に騙されているのか、「息子は病気だから働けないのよ」と仰っていたが私は知っている、
ある時ターミナル駅の通路で「いよっ」と肩を叩いたおっさんがいた、それは元気そうな息子であった。
調理と掃除と足浴をするのが仕事だったが、その冷蔵庫の中は常に空っぽであった。私はどんな材料でも何か工夫して料理したが、ある時は小麦粉と砂糖しかなかったが、それでも何とか一品作ったわ。
ある年の暮れのことだった。
その年の暮れから正月は娘も旦那も仕事と旅行で不在だったので、おせちは作らないつもりでいたが、暮れの最後に訪問したときお金も食品も無いウメさんにおせちを届けようと思いついたの。
二段のお重と年越しそばと海老天と雑煮の材料を仕事で出勤する娘のタクシーに同乗して運んだ。
ウメさんは涙を流して手を合わせ「貴女のことは一生死ぬまで忘れない」と言ってくれた。私はその言葉でとても満足したわ、私のことを忘れない人が居るなんて幸せだなと。
でもウメさんの一生は半月で終わったわ。
落ち込んでいる私に娘は言ってくれる
「ウメさんも愛子様も腰痛ちゃんもあの世でママの事を見守ってくれているわよ」と