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筑豊炭鉱絵巻

23/5/27 (金) 曇り

 

 

 

 

 

 

 

 

左上の文字


今朝の産経新聞に懐かしい記事が掲載された。
山本作兵衛氏の「筑豊炭鉱絵巻」
これは昭和48年1月に初版が発行されて、
私は3月発行の第二刷発行版を購入したものだ。
確か新聞広告を見て発注した覚えがある。

定価が4,500円だから当時の私の経済では高価であったと思う。
それでも欲しかったんだね。

 

なぜってね。


私は炭鉱町育ちだ。
炭鉱と聞くとすぐに反応する。
私の育った町は佐賀県杵島郡大町町
杵島炭鉱の城下街だ。
その町に高校卒業までいた。

炭鉱華やかなりし時代に育った。


よその人は炭鉱と言うと一段下に見るようだけど、私は誇りに思うのだ。
戦前から戦後の復興期を支えた基幹産業であるから、エリートが馳せ参じた。

 

父は親の代から杵島炭鉱で働き、一時中国(昭和15年頃から19年頃まで)の

秦皇島の日本人経営の炭鉱でも働いていた。
本当に活気があったなあ!


だから私は五木寛之の「青春の門」の世界がまるで同時代的に理解出来るのだ。
組の抗争も度々見聞きしたし、朝鮮人労働者も沢山いて朝鮮長屋もあった。
戦後朝鮮人が帰国してからは海外から引き揚げて来た帰国者が入居して代用朝鮮なんて

揶揄されたりした。


戦前は女性も坑内に入り働いていたそうだ。

戦後はさすがに「へぇ、本当!」と言うリアクションではあったが。

 

杵島炭鉱は個人経営ではあるが大手で唐津出身の高取家の所有であった。
労働組合の力が強くて長期にわたる労働争議の後経営が行き詰まった様で後に閉山まで

住友の経営になった。

 

佐賀は至る所に小ヤマ(炭鉱)があり、田んぼの中に小さな櫓を立てているような

零細炭鉱もあった。
炭鉱と聞くと胸にぐっとくる。

炭鉱町で育ってよかったわ。


佐賀県の炭鉱
http://www10.tok2.com/home2/kurodaiya/saga.html

  

唐津炭田
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90%E6%B4%A5%E7%82%AD%E7%94%B0


「ヤマの姿伝えたい」思いに脚光 筑豊炭鉱画 国内初の記憶遺産に
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110527/art11052700410000-n3.htm
 

 

 

 

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