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はた迷惑

23/7/1 (金)曇り

黄砂誕生の地、中央左の白い所がタクラマカン砂漠

平成6年に四駆で一周しました。そこで砂だけでなく公害発生状況も目撃しました。

赤い線が辿った所、タクラマカンの臍のあたりまで足をのばしました。

キャプションにこう書いています

「天山山脈の狭い谷間に公害元、コークス工場らしい」こんな煤煙をむくむく出す工場は沢山あり、必ず日本の方に流れます。恐ろしい光景でした。

おまけ、タクラマカン砂漠の真ん中に住むケリヤ人の美少女と、私も若かった、 

 

アルキン山脈の中の野生動物保護区、野生動物など一匹も居なかった、いたら支那人は喰っちゃうだろう

佐世保港

九十九島


同窓会に出席した翌日、土、日曜日に佐世保に行った。

佐世保は高校卒業後3年間暮らした街。
二番目の弟と最後の叔母さんが暮らしているのでついでのある時は行って居る。


今回叔母さんが大腿骨骨折してリハビリまで入れて4カ月程入院したと言う事だったので、もしや寝たきりかボケが始まっているのではないかと気になったので最後の邂逅かもしれないと思ったがなんと頭すっきり、つかまりながらも独歩していた。
大正11年生まれ元気であった。

いろいろ昔話が聞けて良かった。


佐世保に行くと弟がアッシーをやってくれるので助かる。
佐世保は悲喜交々、どちらかと言うと悲苦かな。
佐世保に行ったら必ず弓張岳に連れて行って貰う。


かってこの場所に結核療養所があり私は半年間療養した事があるのだ。
あの頃は今思うと人生楽ではなかったがこの時期は一番辛い時期だったな。
弓張岳からは九十九島と佐世保港、市街が一望出来て唯一心慰められる一時だった。
先が見えない不安な日々だった。

この時代の事を話せば一遍の小説が書けるかもしれないが今日はそんなことではない。

 

生憎雨模様で歩く事も出来ずにホテルでお茶しながら懐かしい風景を眺めていた、

時折霧が掛かり景色が見えない事もあったが、さっと霧が切れると見えて、

 

そんな事にはしゃいで居たら、ウエイターのお兄さんが『今日は雨なので良く見えます、いつもは黄砂でぼんやりして見えないのです』と言うの、

「えぇっ雨の日が良く見えて晴れの日が見えないっ」そんなに酷いのか!


私が住んでいた昭和30年代始め頃は毎年春が近づくと「今年も春の風物詩黄砂がやって来ました」と新聞でなんだか待ち望んでいるような書き方をしていました。
遥遠く支那の奥地からやって来るいとしい黄砂と言うような受け取り方をしていました。ロマンを感じていましたね。長く住んでいる人はどう思っていたかしりませんが。


その頃の黄砂は単なる砂漠の砂だったでしょう。

しかし今の黄砂は支那の毒素が充分にまみれている有害な砂なんですよ。
支那人は福島の原発に迷惑だと抜かしておったが、そんな事が良く言えたもんです。


なぜ気象庁や政府は黄砂の予報は出しても、放射能の測定結果を公表しないのだろうか、
黄砂の飛来により、これだけ放射性物質濃度が上がったと、世界に向けて発表すべきである。

日本の野菜を調べる前に、支那、朝鮮産を検査すべきであると、なぜ言わないのだろうか。

 

そして今や世界で二番目のお金持ち国になったのだから自分のお金で解決するように強く迫るべきです。
日本の政治はどこを向いているのだろうか。


可哀想な日本国民よ、なぜもっと怒らない!!

 

 

梅酵素6日目

 

 

 

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