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暗かった少女時代

24/10/7 (日) 曇り後晴れ

 

 

ご存じ東京駅と武雄温泉楼門です

 

この二つの建築物の共通点は!辰野金吾設計です。

辰野金吾は我が佐賀県出身です。

 

かっての賑わいも今はシャッター街と化して見る影もない。

 

4日の夜、明日は多忙なので早く寝ようといつもより早く就寝したら、体内時計が狂い、寝付けなかった。

4時位まで意識があり、ある事が頭の中を占めてますます眠れ無くなってしまった。

高校時代の事だ。

なぜ高校時代かと言えば新聞で武雄市の図書館運営を「TSUTAYA」に委託すると言う記事を読んだ事が切っ掛けだった。
武雄の図書館にはずいぶんお世話になりました。

 

私は元来明るい性格だと思うが、暗い部分もある。
それは高校時代から意識して居る。
友達はいつの時代でもいつでも出来た。友人との交流は好きだった。

 

しかし!中学上級時代から高校に掛けて私は変人と言われていた。
変人たるゆえんはいつも本ばかり読んでいたからだ。
寝ても覚めてもトイレでも歩きならでも活字を追っていた。

当時本は貴重で我が家には本らしい物はなかった。

父は新聞(西日本新聞)はよく読んでいたが読書はしなかった。

 

叔父さんは(父の弟)はいつも読書して居たのでよく借りて読んでいた。
たいして親しくない知人でも本を持っているとすり寄って借りて読んだもんだ。

特に試験期間は誰でも貸してくれたな。


武雄町(当時)の高校に入学したら学校にも勿論あったが町立の図書館があった。
これは当時は画期的な事である。
武雄町は温泉町で遊郭花街が賑やかで周辺に中小の炭坑が沢山あり

活気のある町だったのだ。
だから豊かであったし、教育にも熱心な町だったと思う。

 

汽車通学だったので時刻まで時間があると図書館に行って読書に没頭した。
没頭し過ぎて時間がなくなり、方向が同じなので汽車と競争して駆け込んだ事も

たびたびあった。

 

友人は沢山いたのにどうして友人と時間を過ごさなかったのか、

それは私には小遣いがなかったからお付き会いが出来なかったのだ。

学校の帰りに友人と連れ立つとたまには寄り道しようとなり

『回転焼き食べていかない』となる
私はお金が無いと言うと『奢るから行こうよ』と言われてゴチになった事もある。

しかし奢られた回転焼きが砂を噛むような味気なさ惨めさに打ちのめされ

今に至るも忘れられない。
だから私は生涯奢られるのは嫌いだ。

 

父はワンマンで怖い存在だった。
その父がなぜか私の養育に小遣いは必要ないと思っていたようだ。
父はいつも豪語して居た『必要な物は何でも買ってやる』と、

しかしそれは申し出ない限りでは買ってくれない。

 

小遣いだけでは無い。
当時月謝は450円、通学定期が250円(1ヶ月か3ヶ月かは不明)だったが

いつも滞納していた。
時々担任が人気の無いところに呼んで

「事務のほうから○○分がまだ未納だと言って来ているが、そんなに困窮して居るのか』
「明日納入します」と言って父に貰い慌てて納入する事がたびたびだった。

 

なぜ父は子供の月謝を言われなければくれなかったのだろうか、

今となっては知るよしも無いがそれが今回気になって気になって寝付けなかった原因だ。
怖い父に申し出る気持ちがなかった。

母も家計を任せて貰えず必要なお金を毎日申し出て貰っていたので

娘にやるお金は無かった。
予期せぬ集金人が来ると『明日来て下さい』と言って父から貰っていた。

 

普通の常識では毎月子供の月謝は重要課題だと思うのよね。
『今月分の月謝だ、なくすなよ、使い込むなよ』と言って渡す物ではないですか。

 

その他あらゆる事で意欲をなくすような養育だった。
父に取って子供の友情は必要無かった様だ。
泊まり込みの旅行は勿論御法度、日帰りの遊びも禁じられていた。
だから友人達からキャンプに誘われても私は参加出来ない。
だけどいまだにそれは実現して居ない。

誰か私をキャンプに連れてって~


男に口をきいてはいけない。
だからといって親が遊びに連れて行って呉れた記憶も無い。

 

しかし!因果はめぐりますね。
私も旦那に数日分の家計費しか貰えず一ヶ月一年の見通しが立たない

生活をして居ました。
2.3万の金を貰っても集金などですぐ無くなり、

要求すると『先日やったばかりだろう、何に使ってるんだ』と言います。


40代の終わり頃それまでの放漫経営のつけがたたり家業が倒産しました。

それで私が一切の経済を握りましたが、
5000万以上の借金を返しながら子供の教育(大学二人同時時期もあった)に

苦渋の日々を何年か続けました。

その奮闘ぶり(私にとっては辛い日々)は一編のドラマになるほどです。
お世話になった弁護士さんに言われましたね

『さんごママは倒産企業の立て直しが出来るよ』

私が暗い顔をしているのはそんな事情もあるのです。

 

武雄図書館で借りて読んだいまだに忘れられないのは谷崎潤一郎訳の「源氏物語」です。
和綴じの豪華本で数冊しか貸して貰えないので冬休み中一日おきに武雄に行き

寝ても覚めても没頭しましたね。
家事を手伝い、食べる、トイレに行く以外は一日中没頭した。

 

谷崎潤一郎も生涯に3度現代語訳を試みた。
 
最初は『源氏物語湖月抄』本文を元に、1935年(昭和10年)9月より着手された。


国文学者山田孝雄の校閲を受けながら進められ、1939年(昭和14年)から

1941年(昭和16年)にかけ『潤一郎訳源氏物語』全26巻が、中央公論社で刊行された。


これは「旧訳」「26巻本」などと呼ばれている。当時の社会情勢から、

中宮の密通に関わる部分など皇室に関した部分は何箇所か削除されている。
 
2度目は上記の削除部分を復活すると共に、全編にわたり言葉使いを読みやすく改訂し、

1951年(昭和26年)から1954年(昭和29年)12月にかけ、
『潤一郎新訳 源氏物語』全12巻として刊行された。

この版は「新訳」「12巻本」などと呼ばれた。他に豪華版全5巻別巻1や、新書版全8巻も刊行されている。

 

私が高校に入学したのは昭和29年ですから多分2度目の訳本でしょうね。

 

 

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No title

こんばんは。

わたしも高校生のころ町の図書館で潤一郎訳の「源氏物語」を読みふけりました。
http://www.iza.ne.jp/izaword/word/%25E3%2582%25A6%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25AD%25E3%2583%259A%25E3%2583%2587%25E3%2582%25A3%25E3%2582%25A2/" class="keyword">ウィキペディアをみるといろいろな版がでているようですが、私が読んだのは各巻の最初に色和紙で巻名が印刷されていて、巻名だけの「雲隠」にはたしか紫色で、しばらくそのページを見入ってしまい、他の巻と同じように感動しました。

No title

SACHI さん も月の追っかけをなさって居ますね。
三日月様を取りたいのですがどこに出るのか法則が判りません。

先日屋上に娘と一緒にいきました。
真っ暗で怖いのでね、
そうしたらこんな暗いところに一人で来るのは危険なので
止めなさいと言われましたよ。

源氏物語の装丁は和綴じでカバー(と言うのかな)の中に
2,3冊入っていました。
色までは覚えていませんね。

今はもう目が上がって読書が出来ないのが悔しいです。
それでもぼつぼつ本は買いますね。
出版文化発展の為にとか言ってね、
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